ウェブマガジン
- 2023
- 11
- 香取 弘子さん
(一社)うみ・ひと・くらしネットワーク 事務局長
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農山漁村の女性ネットワークを広げる
―うみひとネットの活動を通して―
- 香取 弘子 【かとり・ひろこ】
- JF全漁連で様々な部署を経験し、最後の10年間はJF全国女性連及びJF全国漁青連の担当を務める。全漁連退職後は、一般財団法人東京水産振興会に入会。2020年、仲間と共に一般社団法人うみ・ひと・くらしネットワークを立ち上げ、農山漁村の人々と消費者との緩やかなネットワークづくりに邁進中。
全漁連に入会
私が学校を卒業した時は、もの凄い就職難の時代でした。その時に親がこういうところがあるからいいんじゃない?と勧めてくれたのが全漁連でした。私は全漁連が何をするところかもよく知らなかったのですが、言われるままに、特に何も考えずに就職した、という感じです。今、全漁連に入ってくる若い人たちを見ていると、ちゃんとこういう仕事がやりたいとか、こういう風に生きたいんだ、というような目標を持ってここにきているんだということが伝わってきて、本当にすごいな、と思っています。
若いときは、就職して結婚をして、子供を育てて、という人生が当たり前で、私もそういう道を進むものと漠然と考えていました。当時は、女性の生き方はそういうものだという固定した考え方が一般的だったということもあったのかもしれません。全漁連に入ってからは、日々いろいろな人と接したり、部署が変わるたびに初めてやる仕事がどんどん出てきて、働きながらたくさん勉強していって、自分の人生も思わぬ方向に進んでいきました。
様々な仕事を経験する
全漁連に就職して、最初は、国際対策室というところに配属されました。ICA(国際協同組合同盟 International Co-operative Alliance)の特別会計をやっている部署で、東南アジアの研修生の受け入れなどをやっていました。その部署は、室長と課長クラスの職員以外は、特別嘱託の結構年配の方ばかりでした。私自身が若かったこともあってその部署になかなか馴染めず、家に帰るともう辞めたいと泣いていたのを覚えています。
でも、だんだんと特別嘱託の方とも仲良くなって、仕事のことをいろいろと教えてもらうようになり、職場にも慣れていきました。一年後に、機構改革があって国際対策室は隣の部署に吸収されることになり、私は指導部指導二課の所属になりました。そこはICAと女性部の事務局も担当している部署で、若手職員もたくさんいました。その時は女性部の仕事を直接やることはありませんでしたが、女性部との関わりは全漁連に入ってわりとすぐにあったんですね。そこには5年くらいいて、そのあと、新設された広報室に配属になりました。編集者になるような勉強はしたことがなく、女性は私一人という環境で、また一から始まるという感じでした。広報室では、今はない機関誌『漁協(くみあい)』(1984年創刊)や会内報の編集にも携わりました。
広報の後は経理課に異動し、調整保管の仕事をしました。イワシやサンマ、サバなどの多獲性魚が獲れすぎて魚価が暴落してしまうような時に、出荷調整をするでしょ。その時の保管料等の経費を補助してもらって、価格を支えて安定させる、その特別会計を担当していました。それまでの部署に比べると、事務的な作業でしかも自分のペースで仕事ができるので、自分にはとても向いているな、と思いました。みんなからは嘘って言われるけれど、私は人と接するのが本当は苦手なところもあって、もうずっとここでやっていきたいと思ったくらいです。
海苔は女性で持っている
でも、だんだん決まったペースの日々がなんだか物足りなくなってきちゃって。一方では、また新しいところに行って一から始めるのは大変かな、という思いもあり。経理に配属になって6年くらい経って、そんな風に気持ちが揺れていた時に、またまた異動になりました。新たな部署は、海苔海藻部。当時、海苔共販漁連というのが全国に27くらいあったと思うのですが、その漁連で構成された全国のり事業推進協議会の事務局を担当しました。
事務局の仕事としては、毎日の共販の数量が上がってきたらそれを共販速報としてファックスで送り、月のまとめやもちろん漁期の数量、金額などのデータを作っていました。また、漁期の初めには、その年の生産枚数や、各県への振り分け、漁期の期間はいつからいつまで、なんていうのを決める会議を開催したり、消費宣伝活動も重要な仕事でした。海苔のことなんて全く知らなかったので、毎日がへぇー、海苔ってそうなんだ、という連続でとても新鮮(?)でした。海苔海藻部に移って1年後くらいに、阪神淡路大震災がありました。震災で瀬戸内地区の海苔にも被害が出たり、あと、有明海の海苔の色落ち問題があったり、大変なこともたくさんありました。そうそう、今では有名になりましたが、「節分に巻きずし、丸かぶり」をコンビニに広めたのも全国のり事業推進協議会と海苔で健康推進委員会(海苔問屋で構成)の活動の成果です(笑)。
海苔海藻部は、女性で持っているといわれていたくらい、女子職員の仕事ぶりが目立っていたと思います。よく働くし、気も強い(笑)。私も当時の上司とはよくケンカをしました。でもその上司が私を役付きにしろ、と上に働きかけ、それで副調査役に、翌年は調査役になりました。女性の総合職採用が始まるちょっと前だったと思います。これをきっかけに、他の部署でも女性を役付きにする動きが進んでいきました。彼の功績ですかね?でも、その人のことは嫌いです(爆笑)。
ちょうど私が広報に移った頃、男女雇用機会均等法が制定されました。少しずつ、女性の登用というようなことが重視されるようになってきていた、そんな時代だったんだと思います。
女性部の担当になる
海苔海藻部勤務10年目くらいに大病をしました。1か月入院、その後自宅療養をしていましたが、2か月くらいして人手が足りなかったのか、復帰してほしいといわれ、時差通勤させてもらったりして復帰しました。でも、海苔部は忙しかったので、先輩が心配して人事に掛け合ってくれて、日韓・日中協定対策漁業振興財団に出向となりました。今だったら大変だったと思うのですが、その時は、まだそれほど大きな問題もなく、割と平和な団体でしたし、周囲の人も気遣ってくれて、2年くらいそこにいました。
そうこうしていたら、燃油価格の高騰が起こり、漁業者が一斉に休漁するという事態に。日比谷公園で危機突破全国漁民大会が開催され、それで燃油の特別会計の仕事が発生、そこに異動になりました。いくつかの県漁連の人が集められ、全漁連の職員と事務処理をしたのですが、各漁協から二千何百という申請があがってきて、そのお金を支払うために口座登録をしたり、もうすごい大変な毎日でした。ところが、燃油の高騰はある時あっけなく落ち着いて、補助金を必要としたのは数件の漁協だけ、という結果になりました。
そうして、2010年から女性部と青年部の担当になりました。歴代の女性部担当の人たちがとても苦労されているのも見ていましたから、「えー、とうとうきた…」という思いもありましたし、これまで漁業の現場にかかわるようなことがなかったので、そもそも漁業を知らないわけです。それで全国女性連50周年の時に発行された記念誌を、マーカー片手に繰り返し読んで、女性部さんのこと、漁業・漁村のことを必死に勉強しました。
女性部さんとの結びつき
当時の女性部さんは、少し年配の強いリーダーの方たちがまだ元気に活躍されていましたが、40代くらいの若手への世代交代も少しずつ進んでいる、そういう感じでした。担当をしているうちに、人間模様もわかるようになりました。
女性部、青年部のための研修等は補助事業だったのですが、私が担当になったあたりから、予算がどんどん減ってきたので、女性部さんもそれまでのようにならずに不満があったと思います。事務局1年目は、前年の活動を規模を変えずにやっていったので、決算時に、全漁連の持ち出しが出てしまったのにはびっくり、冷や汗ものでした。
女性部担当になって1年、3月の交流大会が終わってホッとしたのも束の間、あの東日本大震災が起きました。その日はたまたま早退して帰宅していたので、自宅で震災に遭いましたが、全漁連の職員は自宅に帰れない人も多く、事務所で不安な一夜を過ごしたそうです。
女性部、青年部も安否もわからない方々がいたので、とても不安な日々がつづきました。だんだんと状況がわかってくると、震災の支援活動として、募金などを開始しました。女性連の役員の方の中にも被災した人もいましたし、みなさんも何ができるか、被災地にすぐにでも行けないのか、とやきもきしていたと思います。その年のリーダー研修のときには、懇親会をチャリティーにして募金をやりました。本当に大変な災害だったのですが、その状況が急激に女性部さんとの結びつきを濃くしたと思います。
漁協女性部の課題と女性部の大切さ
女性部担当を引き継いだ時は、部員さんが6万人ちょっといたのですが、10年ほどやって退職するときには2万8千人くらいに激減していました。全国組織から抜けるところも出てきました。私が担当する前に1県、居る間に2県、その後4県くらい抜けてしまって、現在全国組織に加入しているのは31都道県になっています。
県によっては、いろいろな情報を女性部や青年部に流さないで、と言われることがあります。問い合わせがくると大変、ということもあるのだと思いますが、それでは何の進歩もないですよね。みんな忙しいというのもわかりますが、女性部や青年部の発想や視点、アイデアを活かして協力して活動ができればいいなあと思います。女性部は個々のメンバーはもちろんですが、そこを支える事務局さんのサポートも本当に大事です。かつては毎日貯金のような形で、信連と女性部の関わりが強かったわけですが、事務局と女性部のつながり方も変化してきているので、少し寂しく思っている方も多いのではと思います。
これからの漁協女性部は、所属する人たち自身が女性部の必要性をどこまで感じているか、というところで変わってくると思います。でも、何かを始めようと思ったり、そういうことを相談しようとしたときに、やはり一人では動き出せないということもありますよね。仲間がいた方が心強いし、解散はいつでもできるので、続けていってほしいな、と思います。でも、そこに住んでもいない私がそう言っても、ね。
今は女性部の仕事からも離れてしまいましたが、台風とか地震がどこかであると、女性部さんは大丈夫かなと、心配になって連絡したりする自分がいます。
事務局スタート時は不安でしたが、十数年やってみて担当して本当に良かったと、出会った皆さんに感謝しています。全漁連の後輩たちも、担当したいと進んで手を挙げてほしいです。
うみひとネット※を立ち上げる
2020年には、仲間と一緒に(一社)うみ・ひと・くらしネットワーク(うみひとネット)を立ち上げました。うみひとネットは、もともと三木さん、副島さん、関さんが漁村女性の応援団として立ち上げていた「うみ・ひと・くらしフォーラム」を法人化した組織です。うみひとフォーラムの時代は、年に一度、いろいろな地域で漁村の女性たちを対象とするシンポジウムが開かれていました。私のうみひとデビューは、2014年。鹿児島、指宿で開催されたシンポジウムに参加しました。試食あり、講演あり、本当に活発な意見交換ありの楽しい会でした。
うみひとネットの立ち上げはコロナ禍の一番大変な時でしたが、だからこそ、オンラインでミーティングをしたり、いろいろ工夫ができたのかもしれません。うみひとネットの目的は、農山漁村の女性やそれぞれの地域で頑張る人たちと、そういう人たちの活動に共感する人を結び付けて、緩やかなネットワークを構築していくことです。
うみひとネットの活動は、月に一度のオンラインミーティング、8月に東京ビッグサイトで開催されるジャパン・インターナショナル・シーフードショーへの出展、情報発信としてFBやHP、女性活躍表彰への推薦などがあります。昨年は、オンラインマルシェを開催しました。会員さんが作っている商品の背景にある物語をプレゼンしてもらいながら販売する試みは、大盛況でした。
※2003年に国立研究開発法人水産研究所・教育機構中央水産研究所 三木奈都子氏、摂南大学 副島久実氏、そして筆者の3人が、漁村女性の応援団である「うみ・ひと・くらしフォーラム」を任意グループとして立ち上げた。この活動を基に、新たなメンバーとして元JF全漁連の香取弘子氏、金田奈津都子氏を迎え、2020年秋、一般社団法人うみ・ひと・くらしネットワークが設立された。
ネットワークを広げていく
オンラインミーティングでは、「基本を学ぶ」、「この人に聴きたい」、「勝手に試食・品評会」という3つのシリーズを作って毎月開催しています。SNSの使い方や加工品の表示方法などの勉強会をしたり、農山漁村で活動している人にお話をしていただいたり、会員さんが作っている商品に関する意見が欲しいときに、ミーティング参加者に事前に試食品を送って、ミーティング時にみんなで試食しながら意見交換するなど、いろいろな企画をしています。
今後は、女性たちの商品の販売支援にもっと力を入れていきたいと思っています。ECサイトの立ち上げや、女性たちの暮らしや思いを伝える商品PRの動画の作成など、挑戦したいことはたくさんあります。うみひとネットの活動をもっと発信してネットワークを広げていくこと、活動資金を持続的に捻出していくことなど、課題もたくさん抱えていますし、今はまだ、会員の皆さんに育ててもらっている感じですが、将来的には、農山漁村を支えていけるうみひとネットになっていきたいと思います。
うみひとネットへの想い
うみひとネットを立ち上げて3年。地道にやってきたことが、ちょっとだけ認められ始めている感じもしています。5人のコアメンバーを中心に動いていますが、それぞれやってみたいことを持っています。そういう想いを集約して、うみひとネットとしての目標を改めて立てながら、みんなから信頼されるグループになっていけたらいいなと思います。これまでの仕事を通して培ってきたつながりを大事にしながら、便利なツール、ネットとかを上手に活用して、あらたな人とのつながりを広げていきたいですね。私にとってうみひとネットは、今まで関わっていただいた方への恩返しの場かな、そういううみひとネットにしたいですね。
( 一社)うみ・ひと・くらしネットワーク関 いずみ
女性部の研修でも、「参加してよかった」と思われる企画づくりに心を砕いていた香取さん。いつも相手のことを考える香取さんだから、周りの人もみんな、ついて行きたくなるんですね。うみひとネットでも、香取さんの魅力で巻き込まれている人が沢山います。
うみひとネットはたくさんの夢を持って、でもまだまだヨチヨチ歩きで少しずつ進んでいます。これからも、楽しく、志を持って、一緒にうみひとネットを創っていきましょう!
- 関 いずみ プロフィール
- 東京生まれ。博士(工学)。(一社)うみ・ひと・くらしネットワーク代表理事、東海大学人文学部教授。
ダイビングを通して漁業や漁村に興味を持ち、平成5年に(財)漁港漁場漁村技術研究所に入所。漁村の生活や人々の活動を主題として、調査研究を実施するとともに、漁村のまちづくりや漁村女性活動の支援など、実践的活動を行っている。令和2年に仲間たちと(一社)うみ・ひと・くらしネットワークを立ち上げる。