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- 2023
- 6
- 武部 月美さん
株式会社あこやひめ 代表取締役
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次世代に継承できる事業を創る
―あこやひめの果てなき挑戦―
- 武部 月美 【たけべ・つきみ】
- 宇和島市出身。真珠養殖業者の夫と結婚し、真珠養殖業に従事。その後企業組合あこやひめを立ち上げ、加工品開発や真珠販売を手掛ける。平成27年、組織を株式会社へ移行。代表取締役として、加工品の製造販売、レストラン経営、真珠製品の製造販売などに携わっている。
動いていないと落ち着かない
あこやひめの本店があるここ(宇和島市津島町)は、私の実家です。実家は兼業農家で、親は別の仕事をしながら農業もやっていて、いつも忙しく働いていました。それを見て育ったので、じっとしていることができないのかもしれません。
高校を出てからは美容師の学校に通いました。将来は実家の前に3 階建ての美容院を造るという構想を持っていたんですよ。その頃、学校から帰ると家の近くの喫茶店で夕方の5 時から10 時までアルバイトをしていました。その店をやっていたおばあさんから、料理やら後片付けの仕方なんかをずいぶん仕込まれました。そういう仕事を覚えるのが楽しくて、土曜も日曜も、とにかく空いている時間はほとんどバイトに費やしていました。その店に毎日のように通って来る男性がいました。ある時、その人が3 日ほど来なかったんです。あとで聞いたら風邪をひいていたらしいのですが、それが気になってしまって、そんなことがきっかけで、やがてその人と結婚することになりました。
真珠養殖に従事する
夫が養殖をやっていることは知っていたのですが、真珠養殖というのはピンと来ていませんでした。アクティブな仕事をイメージしていたので、まさか一日座って真珠の珠入れ作業をやることになるとは、思ってもいませんでした。
家族経営の真珠養殖は、家族みんなで役割分担して、若手は珠入れ、年齢が上がっていくと下回り(貝の準備など)の作業を行います。私も結婚してすぐに珠入れ作業を覚えて、ずっとその作業をやっていました。養殖の仕事は年がら年中忙しかったのですが、私はやる気はとにかくあったし、自分の珠入れした真珠はどんなアクセサリーになるんだろう、と想像しながら作業をするのがとても楽しかったです。
その間に子供も5人生まれました。今、家の真珠養殖は夫と後継者である次男夫婦がやっています。愛媛県漁協下灘支所の組合長になった夫は、出勤前と土日しか養殖作業ができないので、次男夫婦が中心となって作業をしています。あこやひめの方は、長女の寛子さんは役員として、次女の祐加さんは正社員として一緒に働いています。
アコヤ貝の大量へい死
長引く不況や海水温の上昇、赤潮の発生、アコヤ貝の感染症などで、近年の真珠養殖は苦境に立たされています。特に忘れられないのは、平成8年に起こったアコヤ貝の大量へい死です。真珠の生産は激減し、その後真珠養殖を廃業する業者さんも増え続けています。
漁協はアコヤ貝の品質改良や養殖漁家の経営の立て直しに必死に取り組んできました。私たち下灘漁協女性部のメンバーは、養殖作業が減ってしまった代わりにできた時間に、みんなで集まって、話をするようになりました。あの大量へい死を見てしまったら、いい時期が戻ってくることはないのではないかな、このままでは子供たちは養殖業を継いで行くことができないんじゃないかな、と不安は募るばかりでした。でも、いろいろな話をしていく中で、悲観ばかりしていても始まらない、何かできることはないだろうか、『女性にできること、女性だからできること』を宇和海全体で考えようと、意見がまとまりました。
企業組合あこやひめ誕生
漁協女性部は発足以来、環境浄化や環境保全の活動に努め、食の安心・安全について考えてきました。その中で、特産品を活かした食品や真珠の加工製品の製造、販売をしたいという強い想いに至りました。
平成17年には、地域の枠を超えて有志が集まり、「あこやひめ」として加工部を立ち上げ、特産物を活かした加工品の製造、販売を始めました。最初は、アコヤ貝の貝柱を使った加工品や真珠製品を、地元や近隣のイベントで販売するだけだったのですが、加工品の商品開発が認められて、県の事業(南予地域密着型ビジネス創出支援事業)の採択を受け、冷凍庫や調理器具の購入もできました。
そして、もっと本格的な活動を始めるために平成19年のクリスマスに法人化し、「企業組合あこやひめ」が誕生しました。少し皮肉なことですが、アコヤ貝の大量へい死がなかったら、この起業はできなかったのではないか、と思います。企業組合を立ち上げた頃は、真珠の作業も行っていて、あこやひめとしての加工作業は夜間に行っていました。真珠作業がお休みの日曜日は、イベントがあればそちらに参加もしました。結成当時のあこやひめメンバーは、みんなそうして活動していました。
店舗営業を始める
企業組合化する少し前に、宇和島市岩松というところで、地元の食材で作った総菜やお弁当を販売する店舗を出店しました。常設販売を経験し、平成21年にはきさいや広場(道の駅港オアシスうわじまきさいや広場)に2号店を出しました。その後、店舗をきさいや広場に集約し、平成28年に「あこやひめ本店」としてこの新店舗を建設しました。新店舗では、地域の食材を活かした食堂を運営しながら、弁当販売や仕出し、水産加工品の製造と販売、そして、真珠をもっと身近に感じてもらうための真珠の珠出し体験や、アクセサリー作り体験もできるようにしました。
次々と新商品を生み出す
「パールコロッケ(ひき肉の代わりにアコヤ貝の貝柱を粗みじんにして入れたコロッケ)」もそうですが、自分達が食べたいものを考えていったら、結構たくさんの種類の商品ができていきました。自分で食べておいしいな、と思ったものは、絶対作ってみます。大阪のイベントに出て帰る時に、当時関西で働いていた娘が、帰りの船で食べさいや、と関西の海鮮ちまきを持たせてくれたことがありました。一緒にイベントに行っていた仲間と食べて、おいしいね、これ貝柱で作ったらもっとおいしくならん?なんて話をして、家に帰ってすぐに作ってみました。それが「あこやちまき」という商品になりました。
「鯛まんじゅう」は、商品開発に協力してくださる先生※の、魚の身を包んだら、というヒントから生まれました。何度も試作し、魚の臭みが気にならないように、あこやひめ自慢の一夜干しを入れてみたら、自分が求めていた味ができました。鯛を饅頭にした珍しさと、むっちりした手作りの皮、中身の一夜干しと地元野菜の中華あんの絶妙なバランスで、今では人気商品の一つになっています。
※中村和憲(なかむらかずのり)氏
料理研究家&食育アドバイザー/作曲家
株式会社としてスタート
平成27年7月に株式会社に移行しました。現在役員は、私と寛子さん、真珠養殖を継いでいる次男の三人。正社員は二人、パート、アルバイト四人でやっています。企業組合の時からのベテランさんも来てくれています。
株式会社にしたのは、若い人たちに企業組合というものがあまり認知されていなくて、就職先として選ばれにくいことがきっかけでした。それと、真珠を販売する時に、都市部に行くと組合という組織より、株式会社の方が信用度が高いと感じたこともあります。
でも、イメージだけで突っ走ってしまったところもあります。企業組合の時は、いろいろな面で免除や優遇の制度があったり、手厚いサポートが受けられたりしたのですが、株式会社となると、やはり独り立ちした感がありますから、良いことばかりではないです。ただ従業員にとっては、組合の時よりも労働環境や雇用が安定したので、良かったのではないかな、と思います。
当時、寛子さんは宇和島で起業して、地域活性化のための企画運営や、地域食材を活用した飲食店をやっていました。でも、コンサル業務が忙しくなってきて、飲食店を閉めようかと悩んでいたので、株式会社設立までの期間に、昼間お店を借りて、「あこ家」として2年間飲食店の営業をやりました。お弁当の販売はやっていたのですが、料理提供はやったことがなかったので、どんなものかやってみよう、ということで始めました。割と好評で、これならやっていけるかな、と思って、新店舗に移りました。
渚女子の活動
最近は、「渚女子」の活動にもあこやひめとして関わっています。メンバーが減ってしまい、活動ができなくなって辞めてしまう女性部も出てきている中で、でも何らかの活動をしたい人もいて、そういう人たちの受け皿になる組織、という発想で始まったのが渚女子です。それがどんどん広がっていって、女性だけでなく、学生も男性も、海の生活に関わって、海のためとか漁村のため、環境のためといった同じ想いを持っている人たちみんなに入ってもらおうよ、ということで、愛媛県漁協女性部連合会が中心となって呼び掛けています。そうしないと、漁協女性部なんてどんどん廃れていってしまうという危機感もありました。
私たちはすでに商売をしているので、そこに参加することには周囲の抵抗もあるのではないかと、最初は躊躇する気持ちもありました。でも会長(愛媛県女性連)さんがどうしても入ってくれと言ってくださったので、そういわれたからには、私は自分の役割を果たそうと思って関わっています。渚女子は、少し走り出して課題も見えてきました。活動するならなんでもいいとなってしまうと、想いの共有が難しくなる。それはやっぱり違うね、ということで、最近は活動を続けるためにも、想いや目的意識を明確にしていくことが必要だと話しています。
値付けまでが商品開発
渚女子の活動の一つが、魚食活動で作ってきたレシピを基にした加工品開発とその商品を販売につなげていくことです。でも、各々が仕事を持ちながら行う女性部活動では、販売につなげるのはなかなか大変ですから、昨年は渚女子メンバーの商品を、あこやひめが取りまとめて販売したりもしました。
でも、課題は多いです。外部で販売するときには手数料がかかりますが、直接販売をすることが多かった女性部の商品には、そこを想定した値付けがされていません。昨年のシーフードショーでは、愛媛県のブースで渚女子として出展しました。こういう場に商品を出すからには、きちんとした値付けができていないと商談になりません。今後は商品づくりだけでなく、作ったものを積極的に販売していくためにも、値付けの仕組みなどについてしっかり学んでいくことも必要だと思います。
次の世代に伝える活動
渚女子では、環境問題を考えるような活動もやっています。今は小学校などでも積極的に海のゴミ拾いなどをやって、環境と漁業や養殖業を結び付けた教育をしているので、私たちも学校などに足を運んで、魚食普及の料理教室やそこから環境へつながっていくような話ができればよいのかな、と考えています。
渚女子では、学校の先生に向けた活動もしています。東中南予のブロックごとに会場を設けて参加者を募集して、鯛のさばき方などをやりました。鯛1匹持ち帰れるということもあってか、結構な人が集まりました。
先日来ていた佐伯高校には、ごみ拾いに参加したいという生徒がいて、感動しました。高校生はもう大人に近いので、そういう意識が残ってくれればありがたいと思います。
女性部の展望
下灘支所の女性部はつぶしてはいけない、ということで、事務局の漁協の女性職員さんが管理してくれて、形は残してあります。残りたいメンバーさんは、会費も納めてくれていますし、海苔やワカメ、イリコは女性部の取り扱いということで、販売の手数料が女性部に入るような仕組みになっています。でも、その職員さんが来年の夏に退職するので、それまでになんとかしなければ、と思っています。漁協でも若い職員さんが入って来ていて、その人たちが引き継いでくれるとは思うのですが、その時に、若い世代を巻き込んでいけるような新しい形を作っていけないかな、と考えています。
あこやひめも課題が山積している
ここ最近は、コロナもようやく出口が見えてきましたが、長引いた新型コロナの蔓延で傾いた経営の、立て直しをしなければいけないと思っています。でも、やるべきことが多すぎて、手に負えない部分も出てきてしまっています。それで、寛子さんに応援を頼んだのですが、今まで目をつぶっていた課題を突き付けられていて、それはもう厳しい状況です。
あこやひめの役員となっている、武部寛子さんが、あこやひめへの想いをかたってくださいました。
昨年6月までは、関東で企業の立て直しをサポートする仕事を行っていました。私はどんなに想いがあっても、まずは冷静に数字で見ます。1円でもいい。利益を出して事業を継続させなければ、従業員は働く場所を失うのです。ともに働く仲間がいる以上、事業を継続することは会社の責任です。
あこやひめの良いところは、従業員が和気あいあいとしていることです。けれど、働き方のルールが曖昧であったり、原価計算そっちのけで商品を提供していたり、いろいろな会社に提案されるままに契約してきた不要な運営サービスとか、ヒト・モノ・コトの管理ができず、かさんだコストで倒産寸前でした。母たちの想いが形になったあこやひめは、想いがなければできない大変な事業です。でももう、想いだけでは継続できなくなっていたんです。
私自身、あこやひめをなくしたくない想いで帰郷しましたが、これまでと同じやり方で組織を再生することは困難なため、一度、全員で話をすることにしました。そこで、みんなに続けたいという意思があることが分かり、そのために変わっていこうと、立て直しをスタートさせました。
これまでのやり方を変えるわけですから、意見がぶつかることはしょっちゅうです。でも代表である母には、従業員を守るためにも、行わなければならないことを正しく判断できる経営者になって欲しいと思います。
またあこやひめには、地域課題に取り組む多くの方との関りがありますし、これから取り組もうとする方との交流も多いです。従業員の方はもちろん、あこやひめに関わる全ての皆さんにありのままの姿を見せ、想いを共有し、ともに行動することが、組織はもとより様々な地域課題を解決する近道で、結果、まちの元気につながると考えます。
あこやひめのこれからを見据えて
私が目指しているのは、この事業が次の世代に受け継がれていくことです。地域の若い働き手の受け皿になれたらいいなと思っています。この思いをきちんと形にしていくためには、目の前にある課題から、逃げずに向き合っていかなければならない。今は、一つ一つの課題を乗り越えていく時なんだと思っています。
私たちあこやひめの想いと、あこやひめを応援してくださるお客さんが繋がっていって、周囲から支えてもらえる地域の企業に育っていきたいと思っています。
※本文写真はあこやひめさんにご提供いただきました。
( 一社)うみ・ひと・くらしネットワーク関 いずみ
女性部有志の加工グループから企業組合、そして株式会社へ。地域の若手の受け皿になる企業づくりという信念を持って走り続ける武部さん。ふんわりやさしいイメージなのに、どこにそんなパワーが隠されているんですか!?
寛子さんとのやりとりは、時に周りが引くほどのバトルになることもあるのだとか。でもそれは、それぞれがあこやひめに強い想いを寄せているからなのでしょうね。地元を支え、地元から支えられる企業として、これからも頑張ってください。
- 関 いずみ プロフィール
- 東京生まれ。博士(工学)。(一社)うみ・ひと・くらしネットワーク代表理事、東海大学人文学部教授。
ダイビングを通して漁業や漁村に興味を持ち、平成5年に(財)漁港漁場漁村技術研究所に入所。漁村の生活や人々の活動を主題として、調査研究を実施するとともに、漁村のまちづくりや漁村女性活動の支援など、実践的活動を行っている。令和2年に仲間たちと(一社)うみ・ひと・くらしネットワークを立ち上げる。