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- 2022
- 11
- 大沼健一さん
- 大沼瑞保さん
-
父と娘の漁業談義
―漁業の魅力をさぐる―
- 大沼 健一 【おおぬま・けんいち】
- 静岡県指導漁業士。焼津水産高等学校を卒業後、まき網船に乗る。その後、元々実家が営んでいた養殖業、有限会社大浦水産に入る。また、まき網船に乗っていた経験を生かして小型まき網を中心とする漁業会社、福成丸を設立。現在は、養殖と漁船漁業を営んでいる。
- 大沼 瑞保 【おおぬま・みずほ】
- 東京海洋大学大学院修了。海洋生命資源科学専攻。魚群制御学研究室に所属し、様々な地域の漁業を体験したことが、実家の漁業に興味を持つ一つのきっかけとなる。卒業後、家業の漁業に就き、アジ養殖を中心に、アオリイカ漁や小型まき網などにも従事している。漁業歴は2年半。
自然に恵まれた心豊かな村
健一さん 家は代々漁業をやってきました。自分で3 代目になるのかな。家ではいろいろな漁業をやっていました。真珠養殖をやっていたこともあります。自分が小さい頃は、身内がまき網をやっていて、親父は養殖や釣り堀をやりながらまき網にも行っていました。身近な人たちがみんな漁業をやっているという環境の中で育ってきたので、小学生のころから、漁業で食っていこう、と思っていました。その頃から親にくっついて魚を獲りに行ってました。楽しかったし、子供ながらに「これは儲かるんじゃないか」と思ってました。中学の初め頃には、自分で獲った魚がお金になるということを体験してしまっていたので、もうこれ(漁業)しかないと思っていました。同級生が高校進学ということを言っているときに、俺は絶対高校には行かないと宣言してました。海にデビューするのが3 年遅れるのが悔しいような思いがあったんですね。でも親父からは、遅れた3 年間を超えられないようじゃあ、海で飯なんて食えないよ、とよく言われてました。それで、結局高校に行く羽目になっちゃって。焼津の水産高校に行ったんだけど、結果としては、県の役なんかをすると、その時の仲間や先輩、後輩が同じ委員で出てきたり、漁業士や県の役員にも同窓生は沢山いるので、そういう人のつながりができたという面では、高校に行って良かったかな、と今は思ってます。でも学生の時も一番の優先順位は漁業でした。魚が獲れるときは、勉強も部活もそっちのけで海に行ってました。
高校の時は焼津に下宿をしていたんですが、暇な時に作れるように刺し網の網を持って行ってました。下宿で網を作って、その網で夏休みには漁をして、結構お金を稼いでました。
まき網が俺の漁業の原点
健一さん 高校卒業後は、叔父さんがやっているまき網に乗りながら、高校生の時に作ってもらった2 トンくらいの小さい船で漁をして、遊びに行くくらいのお金はそこで稼いでました。まき網の給料は将来自分の船をつくるために貯金をしてました。
まき網に乗っていたころは、いずれ漁労長になることが夢だったんだけど、親父がその兄貴とやっていたアジとタイの養殖も手伝わなきゃという思いもあって、7年くらいでまき網を降りました。親父たちがやっていた大浦水産に入って、養殖をやりました。その後、自分の家でも小型まき網の許可があったので、4.8 トンくらいの船を造って、福成丸という会社を立ち上げ、養殖を手伝いながら漁船漁業もするという形を創っていきました。
まき網に従事したことは、現在に至るまでの自分の漁26 漁港漁場漁村研報Vol. 52業人生の中ですごく重要だったと思います。まき網の網の作り方も覚えたし、魚の習性もわかるようになったし、今の自分の漁業にものすごく役立っています。養殖をやるにしても、やはり基本となるのは漁業だと思います。漁業を知っていた方が役立つんです。その良い原点を、俺はまき網で学ばせてもらいました。
生きものとしての魚が好き
瑞保さん 私は漁業自体に、実はそれほど興味はなかったんです。小さい頃は魚なんか食べなかった。お刺身、嫌いでした。でも、魚を見るのは大好きで、中学校くらいから海洋大学(東京海洋大学)に行きたいという思いは持っていました。生きものとしての魚に興味があったので、そういう方向の勉強がしたかったんです。大学ではいろいろな授業を受けたけど、養殖の授業はあまり面白くなかったかな。興味を持ったのは、漁具の授業。魚の獲り方を学ぶのはとても面白いと思いました。
大学院時代は、研究室で長崎のイワシのまき網に行ったり、富山のホタルイカの定置網、北海道の定置網、福井のイカ釣り船、いろいろなところの漁業を体験して、漁業って面白いな、と思うようになりました。そこから、じゃあ家の漁業はどんなだろう、と興味を持ったので、大学4 年生くらいから家の養殖でアルバイトをするようになりました。
学生時代にあちこちの漁業の現場に行って、一番おいしい魚を食べることができたせいか、魚も食べるようになりました。
就活の時期になって、どうもスーツを着るのにも、会社に選ばれなきゃならないというのにも抵抗があったし、どうせなら、人とは違うことをやりたい、という思いもあったので、それなら家で働けばいいかなと思いました。アルバイトで家の仕事に関わり始めて、漁業をやるという流れができていたのかもしれません。
子供は女ばかり三人
健一さん 子供は女ばかり三人います。これも運命かなって思ってはいたけれど、長女(瑞保さん)が高校に入るくらいの時に、俺としては焼津水産(高等学校)に行ってほしかったし、いずれは海の方の仕事を手伝ってくれよって言ったことはある。
瑞保さん 覚えてない!大学なんていかなくていい、ということは言われました。でも、海洋大のオープンキャンパスに行った時、漁業に関する研究の展示があったりして、お父さんの方がすっかり興味を持っちゃって、この大学なら行ってもいいよって言われました。健一さん 海洋大に行きたいって聞いた時点で、海に興味はあるんだなということはわかったんで、それはちょっと嬉しかったね。
健一さん 海洋大に行きたいって聞いた時点で、海に興味はあるんだなということはわかったんで、それはちょっと嬉しかったね。
瑞保さん 私が漁業をやることになって、お父さんが船にトイレをつけてくれて、働きやすくなりました。
健一さん ちょうどそのころ、漁船のリース事業というのがあって、養殖の船を新しく作り変えることにしたんだけど、これからの漁船にはトイレも必要と考えてつけたんです。娘も漁業をやる、というので、そこはちゃんと投資しないとな、と思ってね。それでまき網の船にもトイレをつけて、どっちでも乗れるようにしました。俺はいいけど、女の人はそうもいかないだろうし。
瑞保さん 私としては、男の人だってちゃんとトイレを使った方が良いと思いますよ。
基本にあるのは漁師根性
瑞保さん 私の今の仕事は、養殖が中心です。今年はいかなかったけど、去年と一昨年はまき網にも行きました。春から夏は、お父さんとアオリイカを獲りに行きます。アオリイカ漁はイカが回遊してくる場所に木を沈めておいて、そこに網をまいて獲りますが、これはとても楽しいです。
健一さん 俺は魚を獲るのが好きだし、どうやったら獲れるのかっていうことをいろいろ考えて試してみるのが好きだね。そもそも、かつてはそうやって魚を獲れば儲かったんだよ。
15 年前かな、20 年前くらいかな、土砂崩れの災害がありました。家の前に置いておいたトラックも流されて、養殖の魚もいっぱい死んで、海が真っ茶色になっちゃって。かなりの被害を受けました。その時、親にもおかあにも内緒で小型まき網の最新鋭の船を造ることにしちゃったんですよ。
瑞保さん 私が小学校4 年くらいの時だ。家の前が泥だらけになって、よく覚えてます。その後、新造船の進水式で学校を休んだ記憶もあります。
健一さん 災害で被害を受けたもんで、もう頭に来ちゃって。このままじゃ養殖はダメだ、獲る方を強化しないとだめだなと思って、勝手に船を造ることにしちゃった。それが今使っているまき網の船なんだけど、とにかくその時は、毎年こんな災害が起きたらどうなるんだ、という不安な気持ちでいっぱいでした。泳いでる魚は一時どこかへ逃げてしまっても、いずれ戻ってくるだろうけど、養殖の魚は逃げられない。逆に養殖に集中して、もっと規模を大きくした方がいいかもしれないけど、こどもの頃からの魚を獲るという漁師根性があるから、養殖一本化はできない。
瑞保さん 私もあんまり養殖は好きじゃない。獲る方がやっぱり興味がある。でも、地域としては養殖アジを推していて、お父さんは養殖はやめられないんじゃないかな。
養殖は社会の動向と連動している
健一さん 5、6 年前に、養殖を一緒にやっていた従弟が急に病気で亡くなってしまったこともあって、今は養殖に重点が移ってきたように思います。まき網の方も継続しているんだけど、ここ10 年くらい魚が減ってきていて、海自体もだんだん変わってきているのを感じます。
でも養殖も厳しいところに立っています。コロナで養殖に係る借金が増えてしまった。餌にお金がかかる、アジは売れない。コロナで緊急事態宣言が出る度に、出荷量が減ってしまって。ここのところは、そんな繰り返しで、養殖やってなきゃよかったのにと、思ったこともある。オリンピックに向けて養殖を増やしたことも痛手になっています。オリンピックは全く期待外れでした。
瑞保さん 養殖って、社会情勢とか景気と連動しているところが面白い。コロナの感染者が増えると養殖は暇になる。日本の景気が悪くなればこちらも落ち込んでしまう。
養殖アジの課題
健一さん うちの養殖アジは、いけすやさんや、地元や都心、それから群馬県の飲食店、横浜の八景島にある釣り堀なんかに行ってます。今、釣り堀用のアジがないということで、さっきも打合せしてました。
地元では5、6 軒のアジ養殖業者がいるけど、いけすやさんに入れているのは、うちもいれて2、3 軒かな。結構大型のアジを求められるので、養殖業者としてはリスクがあるから、皆ができるわけではないんだよね。アジの種苗は長崎と愛媛から仕入れています。鹿児島も少しあるかな。昔は種苗も自分たちで獲って育てていた時代もあったけど、この辺りではもう全然いなくなってしまったね。
エサ代の値上がりも深刻です。20 キロ5000 円だったのが今度6000 円になるっていうので、9 月からアジも値上げする方向です。値上げしたら売れないのではないか、いくらなら売れるか、とみんなでいろいろ議論はしたけれど、買ってくれないんだったらそれでもいいから値上げしなきゃやっていけない状況です。もちろん本音は買ってもらわないと困るんだけど。
瑞保さん でも、今アジの在庫がなくなりつつあるんだよね。
健一さん いつもは夏前にちょうどよい種苗(中間的種苗)を仕入れるんだけど、今回は種苗自体があまりなくて。秋になって良い種苗がないと、大変なことになる。
仕事は早朝から昼まで詰めてやる
瑞保さん 朝は2時、3時、今はそんなに忙しくないので4時くらいかな、そのくらいに出荷作業をします。いけすのアジを船に揚げて、注文は尾数で来るので、一尾ずつ数えます。大きさも注文する人によって幅があるので、サイズも考えながら数を揃えます。出荷用のいけすは、家の真ん前にあります。いけす本体はもう少し沖の方にあって、そこから出荷用のいけすに魚を移します。近くにあれば多少海が荒れていても出荷できるので良いのですが、台風の時などは川のそばなので、結構濁っちゃったりすることもあります。そうなると、目の前にいけすがあっても出荷できません。
活魚屋さんが6 時とか7 時に取りに来るので、その時間に合わせて作業をします。その後漁協や地元の料理屋さんに運ぶものがあったりします。
出荷がひと段落したら、餌くれ作業や沖から出荷用のいけすに魚を移したり、網の交換もあります。何をやるかはお父さんが決めています。海の仕事が終わったら、陸作業で網の修理をやったりしています。イカのシーズンは、昼前に合間を見て出かけます。そうやって昼までぶっ通しで作業をして、お昼で解散です。お父さんも私も、最初に詰めてやってしまって、あとは自由になる方が良いので。
健一さん 従業員もそういうやり方の方が良いみたいです。昼以降は、仕事があれば俺はそのまま作業をしてます。今は俺と娘、従業員が二人、バイトが二人くらいでやってます。経理など事務仕事は弟がやってくれています。
瑞保さん 日曜日はお休みです。たまに土曜の昼から東京に遊びに行くこともあります。でもお父さんは日曜日も働いている。お父さんは本当に漁業の仕事が大好きで、働いているのが一番いいんだと思うけど、これからの人はそれではついて来ないと思う。お父さんは人に強要しないからいいけれど、たまにイカがすごく獲れてたりすると、申し訳なさそうに、ちょっと行ってくれないか、って言われることもあります。
健一さん やればお金になる。行かなきゃゼロ。そう思うと、うんと獲れているときは、やはり行って稼ぎたいマダイの出のが漁師です。
瑞保さん 用事がなければ、喜んで。でも、休む時は休まないと体調を崩すこともあるので、その辺りは気を付けてます。今年はだいぶ慣れたせいか、熱も出さずやってます。
網に入るレアキャラにテンションが上がる
瑞保さん 日々の漁業の中で一番楽しい作業は、実は網修理です。ミサンガを創ったりするのが好きなので、編む作業が楽しいのかもしれません。海の仕事を終えて、海を目の前にして海風を浴びながら、サクサク網修理する時間が楽しい。
海に出ると、いろいろな生きものと出会えることも、漁業をやっていて楽しいところです。クジラがすぐ近くに来たときは、漁師をやっていてよかったって思いました。ウミガメが網に入っていて、それを網から離したらスーッと海に帰っていって、その様子には本当に感動しました。たまにいけすの中にもハタタテダイとかマツダイとか、そんなレアキャラが入っていることがあります。アオリイカ漁に行った時も、最初はアオリイカが獲れて、ワーッという感じでいるのですが、だんだん、イカ以外のものに目がいってしまって。この前も、私が大好きなイトヒキアジが入っていて、めちゃくちゃテンション上がりました。
魚と出会うのが楽しいし、魚が好きです。アジとかタイもかわいい、と思ってしまいます。夏場は、結構アジが死んでしまったりするのですが、それを処理しなければならない作業は辛いです。なんだか、殺してしまった、というような気持になってしまって、よく「ごめん」って言っています。
漁業をやっていて嫌なことは、私は肌が弱いので、海の中の小さな生き物に触れて痛くなったり痒くなったりするのはちょっと辛いです。海水はすごく乾燥するので、冬場はひび割れするのも大変かな。それから、手がすごくごつくなります。
父の想い
健一さん 親子で一緒に仕事をするっていうのは難しいところもあるけれど、娘が漁業をやってくれているのは嬉しい。人生はいろいろあるから、これから先どうしていくのかはわからない。でもそれは本人次第だと思ってみています。俺の親父は孫が海に行くのがとても嬉しかったと思う。最初の頃は一緒に海に出ていました。今はケガをして、海に行けなくなってしまったけど、家の中で孫と海の話ができるのが楽しいんだと思う。
獲る漁業から魅せる漁業へ
瑞保さん いろいろなところに学生時代に行って、地元ももちろん好きだけど、同じくらい好きな場所もたくさんできました。もっといろんなところを見たいし、いろんな漁師さんとも知り合いたい。地元だけでなく、漁業全体を盛り上げたいと思う。
これからは、漁師が自分で魚を売っていく時代だと思ってます。そもそも魚がそんなにいないから、量で稼げる時代ではなくなっています。一匹一匹を大切にしていかないと。私は小さな定置網をやってみたいな、と思っています。お金になる魚をいっぱいとって市場に出す、ということではなくて、体験漁業だったり、獲れた魚をデザインしてグッズをつくるとか、おいしい魚が獲れたら、その場で食べるとか、そういうことをしてみたいと思っています。人からは、漁業をやってますというと、何釣ってるの?と聞かれたりするけど、漁業のイメージが釣りくらいしかない、一般の人はその程度なのだと思う。だから、いろいろな漁法であるとか、そういうことをもっと伝えることをやっていきたい。魚を獲るだけで終わりにしたくないんです。一つの目標に、自分でデザインした魚グッズのお店を出すことがありますが、そんなふうに、獲る漁業から魅せる漁業に、転換していきたいと思っています。
( 一社)うみ・ひと・くらしネットワーク関いずみ
子どものころから漁師を目指し、迷うことなく漁業に邁進してきた父、健一さん。一つ一つ経験を積んで、いくつもの選択肢の中から漁業を選んだ娘、瑞保さん。漁業に対する想い、仕事への取り組み方、さかなとのかかわり方など、父と娘は異なる視点を持っていると感じました。けれど、瑞保さんからは、第一線で漁業と対峙し続ける父への尊敬の念が、そして健一さんからは、これからの娘の人生を見守るあたたかな眼差しが伝わってきました。獲る漁業から魅せる漁業へ。これからの瑞保さんの挑戦を、私も応援したいと思います。
- 関 いずみ プロフィール
- 東京生まれ。博士(工学)。(一社)うみ・ひと・くらしネットワーク代表理事、東海大学人文学部教授。ダイビングを通して漁業や漁村に興味を持ち、平成5年に(財)漁港漁場漁村技術研究所に入所。漁村の生活や人々の活動を主題として、調査研究を実施するとともに、漁村のまちづくりや漁村女性活動の支援など、実践的活動を行っている。令和2年